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陳情01-22 米軍普天間飛行場の辺野古移設を促進する意見書に関することについての陳情

受理年月日 令和元年6月3日 受理番号 陳情01-22
委員会付託日 令和元年9月10日 付託委員会 企画総務委員会
委員会審査日 令和元年10月2日
議決年月日 令和元年10月28日 議決結果 不採択
全員賛成
陳情01-22
  米軍普天間飛行場の辺野古移設を促進する意見書に関することについての陳情

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陳情元−22(写)
    米軍普天間飛行場の辺野古移設を促進する意見書に関することについての陳情
 私達宜野湾市民は、1945年4月1日の米軍上陸とともに始まった米軍普天間飛行場の建設以来、74年間も普天間飛行場とともに生活してきた。それは74年間も米軍基地被害を受け続けて来たということである。
 終戦当時生まれた宜野湾市民も、はや後期高齢者入り目前となり、その孫たちが宜野湾市民9万7千余人を形成するに至っている。
 私達は、訴えたい。いつまで宜野湾市民は普天間飛行場からの基地被害に晒され続けなければならないのか。ひ孫の時代まで、と言うのか。
 普天間飛行場の名護市辺野古地域への移設に反対する現沖縄県知事を初めとする人々(以下、移設反対派)には、普天間飛行場の危険性を除去する対案を全く持ち合わせていない。にもかかわらず、辺野古移設反対を声高に叫んでいる。その行きつく先は、普天間飛行場の固定化にほかならない。日米政府の合意によって、代替施設の米軍側への提供なくして閉鎖されないことが「沖縄に関する特別行動委員会」(SACO1996年11月)によって決定されているからである。
 最近では、普天間飛行場を辺野古に移設しなくとも閉鎖できると、移設反対派は主張し始めた。先の衆議院沖縄三区補欠選挙でも、その「秘策」があると訴えた候補が当選するなど混乱が起きている。
 しかし重ねて述べるが、知事も含め、彼らに何の具体策もありはしない。普天間の代替施設は国が探すべきであって、県の仕事ではないなどと知事は主張する始末である。また「秘策」なるものも、未だに具体的な説明はまったくない。日本国内の世論を動かして、日米両政府に移設なき閉鎖を実現するとの空想論が語られるだけに過ぎない。そのプロセスに何年を要するつもりなのか、まったく不明である。
 そこでは宜野湾市民の一刻も早い普天間飛行場の危険性除去を実現して欲しいとの切なる希望は、顧みられていない。2004年夏に発生した普天間飛行場に隣接する沖縄国際大学に普天間飛行場所属のヘリが墜落炎上した事故が、何時再び起こるかもしれない可能性を抱いたままである。
 普天間飛行場の危険性を除去する唯一の方法は、辺野古移設しかない。移設工事はすでに第一区画の埋め立てが完了する段階であり、軟弱地盤の問題も、多少の工期延長はあれ、普天間飛行場の移設に向けて事態が進展することに変わりはない。宜野湾市民にとって重要なことは、移設の目途が立つ、ということである。何時まで普天間飛行場と付き合わなければならないかが明確であれば、将来への展望が開ける。何時、移設が実現するのかわからないという、過去には、決して戻りたくない。
 移設に反対する人々は、普天間飛行場の辺野古移設は「基地の沖縄県内でのたらい回しとなり、よくない」などと主張する。しかし、実際はそうではない。現宜野湾市のど真ん中にある普天間基地と、海岸沿いに統合する既存のキャンプ・シュワブ基地とどちらが安全か、自明の理である。しかも基地の面積は三分の一に縮小されることには触れない。
 何よりも、基地受け入れ先の名護市辺野古三地区(辺野古・豊原・久志)は、移設に条件付きで容認している。基地受け入れの代わりに、地元の振興策を国に依頼した。そしてその条件は国が同意するところとなり、埋め立て事業は進行中である。
 既存のキャンプ・シュワブが辺野古に設置される際の経緯は、交渉の途中には米軍のごり押しもあったが、交渉後半からは辺野古住民代表が誘致を決定、地元の振興策を基地建設計画に盛り込んだ。この点、翁長雄志前沖縄県知事が、「沖縄県のすべての米軍基地は、一方的に押し付けられたものである」と強弁したため、誤解を招いている。詳しくは「辺野古区誌」を見ればわかる。辺野古区民の賢明な判断でキャンプ・シュワブに設置されたのが事実である。
 私達、宜野湾市民の安全な生活を守る会は、2016年10月、当時の翁長雄志前知事が、辺野古の埋め立て承認の取り消し訴訟を国に対して提起した際、このままでは普天間飛行場の辺野古移設が頓挫し普天間飛行場が固定化するかもしれないとの強い危機感を持ち、翁長知事の取り消しが無効であることの確認訴訟を、市民112名の訴訟団(団長・平安座唯雄)を結成して行った。
 そして、宜野湾市民を対象にした翁長知事提訴への支持署名活動を行った結果、2万筆余の賛同を得ることが出来た。宜野湾市民9万人余、4万世帯中の2万人の署名は、静かだが、大きな普天間移設への宜野湾市民の声を拾い上げることができたと思っている。
 私達の訴訟は、沖縄県対国の訴訟が最高裁において国の勝訴に終わったため、取り下げることとしたものの、宜野湾市民の普天間飛行場の辺野古移設への熱い思いを感じることが出来たし、市民の現状と声を識る機会になった。
 また平成25年8月には、県民有志で結成された「基地統合縮小実現県民の会」が普天間飛行場の危険性を一日も早く除去するための辺野古移設と経済振興を求める署名活動を行ったところ、わずか3ヶ月間で7万3,491名の署名が集まった。この事に関し、地元メディアは報じていない。
 宜野湾市民の安全な生活を確実に守るには、ひとえに米軍普天間飛行場を辺野古地区に移設するしかない。ついては、国等関係機関に対し、米軍普天間飛行場の辺野古移設を促進する意見書、を提出するようご配慮願いたい。
  令和元年6月3日
台東区議会議長
石 塚   猛 殿