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陳情30-23 旧アリの街跡地に案内板の設置を求めることについての陳情

受理年月日 平成30年11月14日 受理番号 陳情30-23
委員会付託日 平成30年11月26日 付託委員会 産業建設委員会
委員会審査日 平成30年12月11日
議決年月日 平成31年2月27日 議決結果 趣旨採択
全員賛成
陳情30-23
  旧アリの街跡地に案内板の設置を求めることについての陳情

陳情30−23(写)
        旧アリの街跡地に案内板の設置を求めることについての陳情
 「旧アリの街」は昭和25年より33年まで言問橋上流約200mの台東区側に存在していた。公図上にその範囲が明記されている(現在、隅田公園の盛り土の上に三春滝桜が植えられている周辺)。
 「アリの街」は、今でいう共同廃品回収業である。約100人位の人々が共同生活をし、町の住宅から、商店から、作業場からゴミ、不用品として捨てられている物(ぼろきれ・縄類・ビン・ガラス・金物・紙等)を資源として売却し、それを資金として共同生活を送っていた(食堂・浴場・銀行・教会まで存在した)。
 そのアリの街を通じてポーランド生まれの「ゼノ・ゼブロフスキー修道士」が戦後、長崎より日本全国の戦争孤児・生活困窮者へ支援を続けていた。特に台東区の上野の山の住民、上野駅の地下道の孤児、東本願寺に住み着いた人々、そして浅草・隅田公園周辺の生活困窮者の人々などに支援活動を続けた。台東区でも学校等に出向いて救援物資の提供を要請するなど、今でいう「ボランティア活動」の始まりとされている。
 ゼノ修道士に導かれてアリの街を訪れ、アリの街の人々とその子供たちと共に暮らし、献身・博愛を貫いた「アリの街のマリア」こと北原怜子さんは、28歳で短い生涯を閉じた(当時の新聞・映画・演劇等で全国的に話題になった)。
 「アリの街」は日本の敗戦から復興への足掛かりとなる。日本ではアリの街を目指した同施設が幾つか設立された。また海外でも幾つか設立されたと聞く。
 アリの街の物語は実話であり、台東区の歴史的遺産である。台東区は旧アリの街跡地に案内板を設置し、これを風化することなく次の世代に伝えていく義務がある。
  平成30年11月14日
台東区議会議長
   河 野 純之佐 殿